思考には力がない。いくら考えても、解決しない理由
今回のライブ配信では、
とても大切なテーマである
「思考には力がない」
「考えても、実は何も解決していない」
ということについて、たくさんの質問に答えながらお話ししました。
苦しさや不安をどうにかしたくて、
私たちはつい「考える」ことに頼ってしまいます。
でも、実はそこにこそ、
苦しみが続いてしまう理由があります。
思考は、癒してくれないし、助けてもくれない
配信の中で何度もお伝えしたのは、
思考には、解決する力がない
癒す力も、安心させる力もない
ということです。
どれだけ考えても、
- 不安が消えたこと
- 恐れがなくなったこと
- 本当に安心できたこと
は、ほとんどないと思います。
それなのに私たちは、
「もう少し考えれば、何とかなるかも」
「正しい答えが見つかるかも」
と、思考に期待してしまいます。
でもその期待自体が、
実は思考が作っているものなんですね。
苦しいのは「思考」ではなく、「思考の中身」
とても大切なポイントがあります。
思考そのものが苦しいわけではありません。
苦しいのは、思考の“内容”だけです。
- 私はダメだ
- どうしよう
- こうなったら終わりだ
こうした物語が、
苦しみを生んでいます。
思考は、
ただ現れて、しばらくして、消えていくもの。
本当は、
来ては去っていくだけなんです。
世界はとても静かで、穏やか
配信の後半では、
景色のたとえ話を使って説明しました。
目に見えている世界、
聞こえている音、
風や空気、明るさ。
それらは、
とても静かで、穏やかです。
どんな音がしても、
どんな景色があっても、
世界そのものは、
何も問題を起こしていません。
そこに
「これは悲惨だ」
「大変な状況だ」
と解釈を加えているのが、
思考です。
不安や恐怖は、「感覚」として感じてみる
不安や恐れが強いとき、
私たちはすぐに理由を探します。
でもおすすめなのは、
- 理由を探さない
- 名前をつけない
- ただ体の感覚として感じる
ということ。
胸が苦しい、
お腹がざわざわする、
迫ってくる感じがある。
それを
「恐怖だ」と決めつけず、
ただ感覚として感じてみる。
すると不思議と、
それは少しずつ弱まり、
消えていくことが多いです。
「思考に気づく」と「眺める」の違い
よく出た質問が、
「思考に気づいたと思ったら、それも思考じゃないですか?」
というもの。
答えは、
その通り。気づいたという言葉も思考です。
でも大事なのは、
- 思考の中身に入り込まない
- 物語を広げない
ということ。
やがて、
「思考に気づいている人」
その存在自体にも、気づくようになります。
すると、
思考はただ流れていくものになり、
影響力を失っていきます。
自我は消えなくてもいい
「目覚めたら自我は消えますか?」
という質問もありました。
私自身の感覚としては、
- 自我や思考はある
- でも、それに苦しめられなくなった
という感じです。
消える・消えないよりも、
信じなくなる
振り回されなくなる
それだけで、
人生はずいぶん楽になります。
思考は嘘をつく。でも、それに気づける
思考は、
- 自分は体だ
- 自分はこの物語だ
- 危険だ、怖い、ダメだ
と、もっともらしいことを言ってきます。
でもそれは、
ただの言葉であり、イメージであり、物語。
それに気づくと、
思考が去ったあとには、
平安だけが残る
ということが、
少しずつ分かってきます。
最後に
考えても、
考えても、
苦しみが終わらなかった理由。
それは、
思考に力がなかったからです。
もう、
思考に頼らなくていい。
不安があってもいい。
恐れが出てきてもいい。
それをどうにかしようとせず、
ただ気づいて、感じていく。
その下には、
最初からずっと、
静かで穏やかな世界があります。


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