「脳も臓器もない」――そう聞いて、混乱しても大丈夫
今回のライブ配信では、
「脳」「体」「臓器」「私」という感覚について、
少し不思議で、でもとても大切なお話をしました。
タイトルだけ見ると、
「え? 脳も臓器もないってどういうこと?」
と、戸惑うかもしれません。
でもこれは、
医学的な話を否定するという意味ではありません。
“体がある”と信じている感覚を、やさしく見直してみよう
というお話です。
私たちは「体がある前提」で世界を見ている
ふだん私たちは、
- 私は頭の中にいる
- 脳が考えている
- 心は体の中にある
そんなふうに、
当たり前のように信じています。
でも、その「当たり前」は、
実は思考が作ったイメージです。
今この瞬間、
直接感じられているのは、
- 音
- 光
- 感触
- 温かさ
- 重さ
それだけ。
「脳」や「臓器」は、
今ここで直接感じられているものではありません。
脳を感じたことは、一度もない
ライブの中でお伝えした大事なポイントがあります。
それは、
脳を直接感じたことは、一度もない
見たことがあるのは、イメージや知識だけ
ということ。
写真や図や言葉で
「脳がある」と知っているだけで、
今この瞬間に
脳そのものを感じているわけではありません。
それなのに、
「脳が考えている」
「脳が判断している」
と、強く信じています。
「私」はどこにいる?
では、
考えている「私」はどこにいるのでしょうか。
- 頭の中?
- 胸のあたり?
- 体の中心?
よくよく見てみると、
はっきりした場所は見つかりません。
「ここに私がいる」と思った瞬間、
それもまた、
思考として現れています。
体も「今、感じられている感覚の集まり」
体も同じです。
体がある、というより、
- 重たい感じ
- しびれ
- 温度
- 圧
そういった感覚が、
ただ起きているだけ。
そこに
「これは私の体」
というラベルを貼っているのが、思考です。
世界は“外”にあるようで、実はここにしかない
私たちはつい、
- 私がここにいて
- 世界は外に広がっている
と思ってしまいます。
でも、
見える世界も
聞こえる音も
感じる体も、
すべて、この瞬間の体験の中に現れています。
外にある世界を、
直接触ったことはありません。
いつも触れているのは、
「体験」だけです。
分からなくていいし、納得しなくていい
この話は、
頭で理解しようとすると、
混乱するかもしれません。
でも、それで大丈夫です。
分からないままでもいい。
「?」が残ってもいい。
大事なのは、
理解することではなく、
今、何が直接感じられているか
今、何が思考として浮かんでいるか
そこに、
そっと気づいていくこと。
何かが崩れるとき、安心も一緒に現れる
「私がここにいる」
「体があって、脳が考えている」
そうした前提が、
少しゆるんだとき、
不安になる人もいれば、
なぜかホッとする人もいます。
力が抜けて、
説明のいらない静けさが、
すでにあったことに気づくからです。
最後に
脳も臓器もない、という言葉は、
世界を壊すためのものではありません。
今まで信じてきた見方を、少し休ませてあげる言葉です。
分からなくていい。
考えが出てきてもいい。
ただ、
今この瞬間に起きている体験を、
そのまま感じてみてください。
そこには、
もう十分すぎるほどの静けさがあります。


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