嫌いな人がいるときに起きていること|世界の外に出るという感覚
今回のライブ配信では、
「嫌いな人の話」から始まって、
「世界の外に出る感覚」
「思考にまとわりついている“私”」
そして「存在そのものの愛」についてお話ししました。
一見バラバラなテーマのようですが、
実はすべて、同じところにつながっています。
嫌いな人が現れたとき
誰にでも、
「どうしても苦手な人」
「会うとモヤモヤする人」
がいると思います。
その人の言動を見るだけで、
胸がザワッとしたり、
イライラしたり、
嫌な気持ちが湧いてくることもありますよね。
でも、そのとき起きていることを
よく見てみると、
嫌な感覚は、その人の中にあるのではなく、
自分の内側に起きているということに気づきます。
相手は、きっかけ。
反応しているのは、自分の中の感覚です。
嫌な気持ちをどうにかしなくていい
嫌な気持ちが出てくると、
私たちはつい、
- 相手を変えようとしたり
- 自分を責めたり
- ポジティブになろうとしたり
してしまいます。
でも、どれもしなくて大丈夫です。
ただ、
「今、嫌だなという感覚がある」
と、そのまま感じてみる。
逃げなくていいし、
正当化もしなくていい。
そうやって感じていると、
感覚は自然と形を変えていきます。
「世界の中」に入りすぎている私たち
普段の私たちは、
思考の中で作られた「世界」に
すっかり入り込んでいます。
- 私はこういう人間
- 相手はこういう人
- 世界はこういう場所
そんな物語の中で生きています。
でも、その世界を少し引いて見てみると、
「見ている何か」があることに気づきます。
それは、
世界の中の登場人物ではなく、
世界そのものを眺めている立場です。
これをライブでは
「世界の外に出る」と表現しました。
思考にまとわりついている「私」
思考を見ていると、
そこには必ず
「私」という感覚がくっついています。
- 私が傷ついた
- 私が嫌われた
- 私がダメだった
でも、よく観察してみると、
その「私」もまた、
思考の一部として現れています。
思考が静まると、
「私」という感覚も、
ふっと薄れていきます。
そのとき、
何かが足りなくなるどころか、
むしろ楽さや静けさが広がります。
何もないところにある、やさしさ
思考が止まった一瞬、
感情に名前をつけていない瞬間。
そこには、
- 判断もなく
- 評価もなく
- 比較もない
ただ、在るという感覚があります。
この状態は、
特別なことが起きているわけではありません。
でも、理由のない安心や、
説明できないやさしさがあります。
それを、今回のライブでは
**「存在そのものの愛」**と呼びました。
愛は、どこかで手に入れるものじゃない
愛というと、
誰かからもらうもの、
何かを達成した先にあるもの、
そう思いがちですが、
実はそれは、
最初からここにあります。
嫌な人が現れたときも、
苦しい感情が出てきたときも、
それが失われることはありません。
ただ、思考に隠れて見えなくなっているだけです。
最後に
嫌いな人がいる自分も、
モヤモヤしている自分も、
考えすぎている自分も、
全部そのままで大丈夫です。
思考の世界から一歩離れて、
今ここを感じてみる。
そこには、
何も変えなくてもいい安心があります。
今日も、
そのままの自分で過ごしていきましょう。


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