市川さんYouTubeライブ3ー嫌いな人の話、世界の外に出る話、思考にまとわりついてる私の話、存在の愛について

市川さん

嫌いな人がいるときに起きていること|世界の外に出るという感覚

今回のライブ配信では、
「嫌いな人の話」から始まって、
「世界の外に出る感覚」
「思考にまとわりついている“私”」
そして「存在そのものの愛」についてお話ししました。

一見バラバラなテーマのようですが、
実はすべて、同じところにつながっています。


嫌いな人が現れたとき

誰にでも、
「どうしても苦手な人」
「会うとモヤモヤする人」
がいると思います。

その人の言動を見るだけで、
胸がザワッとしたり、
イライラしたり、
嫌な気持ちが湧いてくることもありますよね。

でも、そのとき起きていることを
よく見てみると、
嫌な感覚は、その人の中にあるのではなく、
自分の内側に起きている
ということに気づきます。

相手は、きっかけ。
反応しているのは、自分の中の感覚です。


嫌な気持ちをどうにかしなくていい

嫌な気持ちが出てくると、
私たちはつい、

  • 相手を変えようとしたり
  • 自分を責めたり
  • ポジティブになろうとしたり

してしまいます。

でも、どれもしなくて大丈夫です。

ただ、
「今、嫌だなという感覚がある」
と、そのまま感じてみる。

逃げなくていいし、
正当化もしなくていい。

そうやって感じていると、
感覚は自然と形を変えていきます。


「世界の中」に入りすぎている私たち

普段の私たちは、
思考の中で作られた「世界」に
すっかり入り込んでいます。

  • 私はこういう人間
  • 相手はこういう人
  • 世界はこういう場所

そんな物語の中で生きています。

でも、その世界を少し引いて見てみると、
「見ている何か」があることに気づきます。

それは、
世界の中の登場人物ではなく、
世界そのものを眺めている立場です。

これをライブでは
「世界の外に出る」と表現しました。


思考にまとわりついている「私」

思考を見ていると、
そこには必ず
「私」という感覚がくっついています。

  • 私が傷ついた
  • 私が嫌われた
  • 私がダメだった

でも、よく観察してみると、
その「私」もまた、
思考の一部として現れています。

思考が静まると、
「私」という感覚も、
ふっと薄れていきます。

そのとき、
何かが足りなくなるどころか、
むしろ楽さや静けさが広がります。


何もないところにある、やさしさ

思考が止まった一瞬、
感情に名前をつけていない瞬間。

そこには、

  • 判断もなく
  • 評価もなく
  • 比較もない

ただ、在るという感覚があります。

この状態は、
特別なことが起きているわけではありません。

でも、理由のない安心や、
説明できないやさしさがあります。

それを、今回のライブでは
**「存在そのものの愛」**と呼びました。


愛は、どこかで手に入れるものじゃない

愛というと、
誰かからもらうもの、
何かを達成した先にあるもの、
そう思いがちですが、

実はそれは、
最初からここにあります。

嫌な人が現れたときも、
苦しい感情が出てきたときも、
それが失われることはありません。

ただ、思考に隠れて見えなくなっているだけです。


最後に

嫌いな人がいる自分も、
モヤモヤしている自分も、
考えすぎている自分も、
全部そのままで大丈夫です。

思考の世界から一歩離れて、
今ここを感じてみる。

そこには、
何も変えなくてもいい安心があります。

今日も、
そのままの自分で過ごしていきましょう。

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  1. テストです

    • tesutodです

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